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チームは新しい時代へ
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1990年 
F1グランプリ参戦4年目となった中嶋は、3年間在籍したチーム・ロータス・インターナショナルを離れ、その活動の場をティレル・レーシング・オーガニゼーションへと移す。
スポンサーはセイコーエプソン、PIAAに新しく日本信販が参画し、新チームで一緒に闘うパートナーは、ジャン・アレジ。

国内は佐藤浩二選手を起用した全日本F3000選手権、そして同選手と中谷明彦選手がコンビを組んだ全日本ツーリングカー選手権(グループA)に、前年同様ブラック&ホワイトのPIAAカラーのマシンで闘う。


1991年
移籍後2年目のこの年、チームとしても強く要望していたホンダF1エンジン搭載が決定(前年はFORD)。チームメイトはアレジに代わって、新進気鋭の若手として注目されていたステファノ・モデナ。

より恵まれた体制となったチームだったが、7月下旬に開催された第9戦ドイツグランプリの場において、今季限りで選手生活にピリオドを打つことを表明。

前年の野田英樹選手に代わっては、幼少の頃からレーシングカート界でその将来性が期待されていた中野信治選手が、当時19歳という若さで渡英。

一方、この年の全日本F3000選手権は黒澤琢弥選手がPIAAドライバーとして参戦。 従来通りホンダ・シビックによる全日本ツーリングカー選手権は、すでに高い信頼性が評価されていた佐藤浩二選手と、若手の五藤久豊選手という新しいコンビで臨んで活躍した。

レース関係企業
本田技研工業
無限
ブリヂストン
アライヘルメット
日本特殊陶業
ARD

スポンサー関係企業
セイコーエプソン
PIAA
日本信販
ブラウン
カルビー

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