トップ > エンターテイメント > 伝説の一戦 > Vol.3 1998年 全日本GT選手権 第4戦 富士スピードウェイ

Legendary Races 伝説の一戦



カテゴリー:全日本GT選手権
サーキット:富士SW(4.470km)
決勝日:1998年8月9日
トラック:ドライ
予選:3番手/決勝:1位

GT初挑戦の若手コンビがシーズン序盤から活躍!

前年の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に代えて1998年よりホンダは全日本GT選手権(JGTC)に4台のNSXで参戦。その内の1台がNAKAJIMA RACINGが参戦する64号車NSXで、ドライバーは前年の全日本F3チャンピオンのトム・コロネル選手とフォーミュラ・ニッポン2年目となる山西康司選手、共にGTは初挑戦となる若手フレッシュコンビ。ここまでの3戦では初戦で2位、第2戦ではPP獲得と元気な走りを見せていた。

そして迎えた第4戦の決勝、予選は3番手、64号車スタートドライバーはコロネル選手。グリーンランプが点灯し無事に1コーナーをクリア、2周目に18号車のNSXが39号車のスープラをかわし、NSXがトップ4を独占した。トップの100号車の飯田選手がハイペースで逃げ、後続を引き離しにかかる。64号車のコロネル選手も16号車をパスし、2位にポジションアップする。

度重なる不運に耐え、ラスト1周でドラマが

しかし15周目にはトップとの差は徐々に広がり約5秒。そして迎えた18周目、最初の不運が起きる。1コーナーに向かう100号車の直前でGT300のマシンが突如オイルを撒いてしまい、100号車はたまらずコースアウト。グラベルにつかまってレースを終えてしまう。2番手走行のコロネル選手もオイルに乗ってしまうが、スピンをしないようにブレーキングし、まっすぐグラベルを突っ切り、なんとかコースに復帰することに成功。しかし、順位を4番手まで落としてしまう。

オイル処理のためにSC(セーフティーカー)が導入され、23周時点でSCがコースを離れて各マシンのピットインも終わった32周目の順位は、トップが39号車・土屋選手のスープラ、2番手には16号車・中子選手のNSX、3番手は、3号車・田中選手のスカイライン、そして64号車・山西選手のNSXの順で後半戦に入る。

迎えた37周目には16号車NSXが39号車スープラをかわしトップが入れ替わる。5番手まで順位を落とした64号車の山西選手も2台のスカイラインを立て続けにかわして3番手に浮上した。

そして、ここからまた新たなドラマが展開する。48周目に39号車に黄旗追い越しによるペナルティが課せられることになり、30秒のピットストップにより脱落、これで16号車NSX中子選手の勝利が確定したかに見えたが、今度はトップを走る16号車にも黄旗追い越しのペナルティが課せられ、上位2台が一気に優勝争いから消えてしまった。

これでラスト1周でトップに立った山西選手は後続を抑えてトップでチェッカーを受けNSX初勝利の栄光とNAKAJIMA RACINGもGT初優勝を飾ることになった。

最後まで絶対にあきらめないこと、これも伝説の一戦だ。

中嶋悟コメント

参戦初年度で、GTレースがまだはっきりと分からないこの時期の4レース目にとにかく優勝できて嬉しかったです。今となってはとても懐かしく思いだされます。



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