トップ > エンターテイメント > 伝説の一戦 > Vol.14 2005年 AUTOBACS SUPER GT 第6戦 FUJI GT 300km RACE

Legendary Races 伝説の一戦

NAKAJIMA RACINGとダンロップにとって初表彰台となるメモリアルな一戦

カテゴリー:SUPER GTシリーズ
サーキット:富士スピードウェイ
予選日:2005年9月24日(土)
決勝日:2005年9月25日(日)
予選 PP/決勝 2位

ダンロップタイヤと共に新たな挑戦が始まる

1994年に始まり、日本のモータースポーツ史のなかで絶大な人気を確立した全日本GT選手権(JGTC)は2005年、SUPER GTシリーズとして新たな船出を果たすことになった。そしてそのSUPER GT初年度はNAKAJIMA RACINGにとっても新たな挑戦が始まるシーズンになった。2019年現在まで続く、ダンロップタイヤとの共闘をスタートしたのが、この2005年だったのだ。

GT500クラスというタイヤ競争の激しい戦いの場では、タイヤの開発だけでなく、タイヤの特性にあわせたマシンのセットアップやドライビングの調整など、レース数を重ねて熟成させる時間が必要となるが、タッグ初年度のNAKAJIMA RACING(EPSON NSX)とダンロップは、シーズン序盤から予想以上の結果を残していた。

アンドレ・ロッテラーと松田次生のコンビは開幕戦岡山と第3戦セパンで決勝5位、そして第3戦と第4戦SUGOでは連続して予選2位になるなど安定して上位に食い込んだ。そしてその実力が遺憾なく発揮されたのが富士スピードウェイで行われた第6戦だ。

当時の予選は最後に「スーパーラップ」と呼ばれるシングルアタック形式のセッションでポールポジションが争われていた。1回目の予選でクラス上位10台が出走するスーパーラップへと駒を進めたNAKAJIMA RACINGは、ウエット路面でのポール争いに5番目の出走順でロッテラーがコースイン。1分43秒924をマークしてトップに立つと、後続のアタッカーたちはこのタイムに届かず、見事にポールポジションを獲得した。


SUPER GT史上に残る素晴らしいドッグファイト

翌日の決勝レース(66周/300q)は、多少の雨のパラつきはありつつも、ドライコンディションが維持されたなかでの戦いとなった。スタート担当のNAKAJIMA RACINGのアンドレ・ロッテラーはトップの位置を守ってオープニングラップを終える。そして序盤早々に2番手へと上がってきたのは、予選4番手だったZENT セルモ スープラの高木虎之介だった。

レース前半、両車の差は3〜4秒くらいで推移していく。そして30周終了時に高木がルーティンピットに入り、立川祐路へと交代。ロッテラーも翌周にピットへ向かい、代わって松田次生がEPSON NSXのコクピットに座る。ピットアウト後も両車の位置関係は変わらず、松田が逃げ、立川が追う展開が続く。

そしてレース後半、逃げる松田に立川が近づき、トップの2台はいよいよ僅差の接近戦を繰り広げることになる。この当時、スープラは富士の長いストレートを得意としていた。追う立川の狙いは当然、スリップストリームを使ってのストレート先の1コーナー。しかし松田もライン取りを駆使し、立川をブロックする。さらに松田は次から次へと現れるGT300クラスのマシン群も巧みに利用する頭脳プレーで、トップの座を死守し続ける。

逃げる松田、追う立川。松田の意地のブロックに、それでも離れない立川。ふたりの接近戦はそのまま長期戦となっていく。この手の接近戦がトップ争いとしてこれだけ長く、およそ100kmの距離に渡って継続されたことは稀であった。

レース終盤になると、立川はコース全域で攻め手を繰り出してくるようになるが、それでも、松田とEPSON NSXには先頭を守り抜くだけの力があった。スタンドは名勝負の興奮に沸き立ち、パドックのレース関係者の多くはNAKAJIMA RACINGとダンロップの初年度タッグの充実した戦力に感嘆の思いを抱いてゆく。

しかし最後の最後、66周レースの64周を終えて65周目に入るメインストレートからコカ・コーラ コーナーにかけての攻防で松田は順位を奪われてしまい、惜しくもNAKAJIMA RACINGとダンロップは2位でチェッカーを受けることとなった。

しかし、ゴール後、松田を出迎えたダンロップのスタッフのひとりは、「ありがとう」という言葉をかけた。その言葉は、まさに富士スピードウェイを訪れたすべての人々の心を代弁していた。

SUPER GT史上に残る松田と立川のバトルは、お互いが相手を「フェアでクリーンだった」と讃える、素晴らしいドッグファイトだった。松田の戦いぶりには、相手の立川も素直に舌を巻いた。「(松田は)ミスをしてくれなかったし、決して楽についていけるペースでもなかった」と語ったレース後の立川。

世界最高レベルのタイヤコンペティションカテゴリーであるSUPER GTで、初めて組んだタイヤメーカーといきなり結果を出すのは難しい。しかし2005年のNAKAJIMA RACINGは初年度からポールポジション獲得と表彰台ゲットを達成するという壮挙を成し遂げたのだった。

NAKAJIMA RACINGとダンロップにとっては、このレースが初表彰台となるメモリアルな一戦にもなった。これも伝説の一戦だ。

中嶋悟コメント

ダンロップとのタッグの始まりの年のことで、15年も前のことですが、鮮明に憶えているレースの1つです。長時間の接近戦で、これぞ手に汗握る内容だったと思います。 順位はともかく、観客のみなさんを釘付けにする素晴らしいバトルでしたね。



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